2011年に、スーちゃん(田中好子さん)がこの世を去ってから、12年が経ちました。
最高に活躍していた人気絶頂の時に、「ふつうの女の子に戻りたい」という伝説的名言を残して、衝撃の解散をした「キャンディーズ」は、私たちの心にいつまでも残り続けています。
それと同時に、55歳という若さで亡くなった、スーちゃん(田中好子さん)のことも忘れられません。
今回は、「キャンディーズのスーちゃん(田中好子さん)」のことを知らない方々にも知っていただきたいと思って、この記事を書くことにしました。
ぜひ最後までお読みください。
お休みなさい。そうゆうワケで今夜もアリガトです。 #キャンディーズ pic.twitter.com/UHd9T3EYEO
— 里芋🌟ナイアガラの月 (@satoimo23) February 22, 2024
この記事を読んで分かること
・スーちゃん(田中好子さん)のこと
・スーちゃん(田中好子さん)の最後のメッセージ
・ランちゃん(伊藤蘭さん)の弔辞
・ミキちゃん(藤村美樹さん)の弔辞
この記事を書いた人
5人の息子を育てながら、中学校の数学の教員を30年間続けました。
退職後、2023年3月に64歳で、ブログを始めようと思いたち、4月10日から公開し始めました。
学生時代は、ピアノ、バイオリン、お琴など音楽系の習い事をしていましたが、現在は、40代から始めた社交ダンス、退職してから始めたヨガなど、身体を動かすことにハマっています。夫と2人暮らし。
母と義母が健在で、時々介護のようなことをしています。
キャンディーズのスーちゃん(田中好子さん)について
スーちゃん(田中好子さん)のプロフィール
田中好子(たなか よしこ)
本名:小達好子(おだて よしこ)
生年月日:1956年4月8日
没年月日:2011年4月21日(55歳)
出身地:東京都
キャンディーズ解散後のスーちゃん(田中好子さん)
芸能界に復帰
1978年4月4日の「さよならコンサート」を最後に、キャンディーズは4年半の活動に幕を下ろしました。
その後、スーちゃん(田中好子さん)は、いったん芸能界から引退していましたが、1980年に芸能界に復帰しました。
この復帰の一番の理由は、当時、骨肉腫で闘病生活を送っていた6歳下の実弟からの強い要望があったからでした。
萩本欽一さんの著書「欽ちゃんつんのめり」を読んで感銘を受けて、萩本さんの家を直接訪問しました。
事情を聞いた萩本さんから「弟さんのために芸能界でもう一度一等賞を獲って、弟さんを喜ばせてやろうよ」と励まされたことも理由の一つでした。
1989年に公開された『黒い雨』で主役を演じて、日本アカデミー賞など様々な映画賞を受賞して、名女優として確固たる地位を築き上げました。
がんの発見と経緯
1991年に小達一雄さん(夏目雅子さんの実兄)と結婚しました。
結婚翌年の1992年に乳がんが発見されました。
親族のみにその病状を伝え、秘密裏に治療をしながら俳優活動を続けていました。
盟友のランちゃん(伊藤蘭さん)、ミキちゃん(藤村美樹さん)でさえ、スーちゃん(田中好子さん)が1992年以来がんを患っていたことは、亡くなる3年前まで知らされていませんでした。
その後逝去するまで、実に19年間にもわたって、がんの治療と再発とを繰り返していました。
2010年に十二指腸潰瘍を患った際、治療のために絶食したことで免疫が低下して、乳がんが再発してしまいました。
その後がんは他の内臓にも転移してしまい、賢明の治療も虚しく、2011年4月21日に天国へと旅立たれました。
素晴らしい女優さんでした。
テレビや映画で、私たちに勇気を与えてくれた、素晴らしい方でした。
もっともっと、スーちゃん(田中好子さん)の活躍を見たかったです。
キャンディーズスーちゃん(田中好子さん)の最期のメッセージ
亡くなる1ヶ月前に、旦那の小達一雄さんが、余命が少ないことを伝えると、スーちゃん(田中好子さん)は一雄さんに「ごめんね」と気遣う発言をして感謝の気持ちを伝えました。
そしてスーちゃん(田中好子さん)は、「これまでお世話になった皆さんにお礼が言いたい」と言って、病室のベッドのリクライニングを起こしてファンや関係者に向けて最後のメッセージを録音したのです。
スーちゃん(田中好子さん)は、病気であることは一切周囲に伝えずに仕事をこなしていたので、その突然の死はファンや関係者に大きなショックを与えました。
告別式の最後に、夫で喪主の小達一雄さん(56)が、参列者やファンら計2100人を前にあいさつをしました。
小達さんは
「女優、田中好子の第1章は残念ながら幕を閉じましたが、第2章第1幕を今、スタートさせてあげたいと思います。好子さん! 行きますよ」
と勢いよく声を張り上げました。
そして映画撮影に使うカチンコを取り出し、
「第2章シーン1、テイクワン、よーい」
と声をあげ、「カチン」と鳴らすと、亡くなる1ヶ月前に収録された、今にも消え入りそうな弱々しい肉声の感謝のメッセージが流れました。
『こんにちは。田中好子です。
きょうは3月29日、東日本大震災から2週間が経ちました。
被災された皆様のことを思うと心が破裂するような、破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもそのときは、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の勤めと思っています。
今日お集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。
心の底から感謝しています。
特に蘭さん、美樹さん、ありがとう。
2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。
テレビでもっと演じたかった。
もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さったみなさまに、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。
かずさん(夫の小達一雄さん)、よろしくね。
その日まで、さようなら。』
テープの再生が終わり、その直後に小達さんが、
「カット!OK!!」
とカチンコを大きく鳴らしました。
そして、「必ず必ず復活させ、皆様のもとに再び送り届けます。どうかその日まで待っていてやってください。本日は、そして、本日まで本当にありがとうございました」
あいさつが終わりました。
3月の終わりには、病状がかなり悪くなっていたのか、かなり弱々しく、話すのも苦しそうでしたが、スーちゃん(田中好子さん)の優しく柔らかいイメージが、そのまま伝わって来るような声と話し方でした。
しかも、自らの死を目前にしているにもかかわらず、真っ先に東日本大震災の被害を思いやり、自分も何かしたいという気持ちを訴える内容に、その優しさと心の大きさが強く感じられ、尚更、心にじ~んと伝わるものがありました。
もし元気に生きていれば、自分で何かしたいと思ったのでしょうけれど、残念ながら、それができない状況の中、天国に行ってまでも、何か役に立とうと、それが務めだという発想を持つこと自体が、本当に素晴らしいし、頭が下がります。
夫の小達一雄さんの実妹は、1985年に、白血病のため27歳の若さで他界した女優の夏目雅子さんです。
スーちゃん(田中好子さん)は、夏目雅子さんの生前から、親交があったそうです。(小達さんと結婚したのは、夏目雅子さんが亡くなった後)
小達さんは、夏目雅子さんのお母さんと共に、治療薬の副作用による脱毛をカバーするためのかつらの提供や骨髄移植の協力者を求める啓発運動などを行なう「夏目雅子ひまわり基金」を創設しました。
スーちゃん(田中好子さん)も、その活動を手伝っていました。
この他にも、夫の社会貢献活動に携わり、自らも厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員などを務めていたそうです。
もともと、人一倍、思いやりの深い人だったと思いますが、これらの活動を通じて、より社会に貢献したいという思いを強く抱くようになったのではないかと思います。
本当にすごい人ですね。
女優のお仕事をしながら、がんの治療をしながら、それだけでも大変なことなのに、そのうえ社会貢献活動までするなんて、私だけでなく、ほとんどの人には到底できないと思います。
それをされていたスーちゃん(田中好子さん)を本当に尊敬します。
ランちゃん(伊藤蘭さん)、ミキちゃん(藤村美樹さん)の弔辞
ランちゃん(伊藤蘭さん)の弔辞
伊藤蘭さんの弔辞
『スーさん。あなたが旅立つとき、1人で寂しくないように、美樹さんと一緒にあなたの名前を何度も呼びました。
私たちの声はちゃんと届いていましたか?
時間がたつほどに大切な人を失った悲しみとさびしさがこみあげてきて、いま、わたしたちはとても困惑しています。
お互いにまだ幼い中学生だったころに出会い、キャンディーズというグループを通して喜びも苦しみもともに分かちあい、すばらしい青春時代を過ごすことができました。
スーさんはいつも春のように優しい微笑みで私たちを包み、なごませてくれましたね。
その後の女優としての活躍はいうまでもなく、いい仕事をたくさんして、多くの人たちに感動を与えてくれました。
体のことを打ち明けられたときは、『なぜスーさんが』と、悔しい気持ちで一杯でした。
本当は辛いはずなのに、いつも3人で会うときは「笑うことが一番の薬なのよ」と言って、明るく楽しい時間を過ごし、反対に私たちの方が励まされていたような気がします。
3人の中では一番年下で甘えん坊だったスーさんが、いつの間にか、強く、頼もしく、心豊かな女性になっていたことに驚かされました。
お見舞いに行ったときも、体調が思わしくないにもかかわらず私たちを気遣い、いつものようにユーモアを忘れない、本当にかわいいスーさんでしたね。
愛情一杯のご主人、一雄さんや、スーさんが一番気にかけていたお父さん、お姉さん、そのご家族、そして、いつも側に寄り添っていたマネジャーの丸尾さんの気持ちを思うと、とても胸が痛みます。
私たちはみんな、大好きなあなたの笑顔を、そして最後まで病気と闘い、立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません。
それを支えに、何とか頑張って生きていかなければと、自分に言い聞かせています。
どうぞ私たちのことを見守っていてくださいね。
ただ、もう一度だけでいいから、3人で会いたかったです。
約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません。
だから今はまだ、「さよなら」は言わずにおきますね。
いつか会えるときまで、もう少しだけ待っててね。
これからは今までの心配や不安から解き放たれて、どうかゆっくり休んでほしいと思います。
ミキさんと私にとって、いつまでも特別な存在のスーさん。
心から感謝しています。
ありがとうスーさん。
ずっとずっと愛しています。』
ミキちゃん(藤村美樹さん)の弔辞
藤村美樹さんの弔辞
『スーさん、何でそんなに早く逝っちゃったの?
おばあさんになるまで恒例の集合写真をたくさん撮りたかったのに。
スーさんがいないなんて寂しいよ。
数年前、スーさんからがんと聞かされたときは本当にショックでした。
でも、『信頼できるお医者様が付いているから大丈夫』といって、そのことを前向きに受け止めていて、私たちを一時、安心させてくれましたね。
その後も、会うたびに変わらぬ笑顔で、いつも決まって深夜遅くまでお菓子を食べ、お茶を飲みながらおしゃべりをしたよね。
心から楽しかった。
あのときをずっと忘れないよ。
家族や周りの人には心配を掛けたくないとの思い、で病気のことを隠して必死に走り続けた数年間、本当によくがんばりましたね。
スーさんのことだから、すごくつらいときにも優しい心配りで、周りの人たちをなごやかにさせ、その場の雰囲気をぱあっと明るく変えたのではないかと想像できます。
最後まで頑張り通したスーさん。
惜しくも亡くなる当日も、本当によく頑張ってくれましたね。
ありがとう。
私も蘭さんも、もう間に合わないかと思ったけど、3人がそろってからのあの数時間は奇跡でした。
いつもなら絶対に集まることが不可能な人も、親族も、みんなが勢揃いし、スーさんを取り囲んでお話をしたり、代わる代わる声を掛けたり、手をさすったりしました。
その、柔らかい手の感触を今でも思い出します。
スーさんは一足先に天国に行ってしまうけど、天国はそれはそれは素晴らしいとこらしいですね。
スーさん、どうですか?
おばあちゃんとおじいちゃん、かずちゃんやお母さん、まさこちゃんにも会えましたか?
神様は、この世のお役目を果たした人をそちらへ呼んでしまうようです。
スーさんはもうお許しが出たのですね。
これは神様からのプレゼントだってこと。
新たな命をいただいて、そちらで幸せに暮らして下さい。
どうやら私たちは神様からお許しがまだ出ないので、スーさんの分まで明るく前向きに一生懸命、誠実に1日1日を生きます。
私たちもいずれそちらに行きますので、そちらで待っていてね。
また3人で歌いましょう。
本当にキャンディーズは楽しかった。
本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。
私たちは永遠にキャンディーズだからね。
お揃いのものも大切にするよ。
ありがとう。スーさん。愛してるよ。
平成23年4月25日 ミキ』
まとめ
キャンディーズが解散してから、女優として活躍していたスーちゃん(田中好子さん)は、結婚の翌年に乳がんであることが分かりました。
けれども、親族のみにその病状を伝え、19年間にもわたって秘密裏に治療をしながら、女優の仕事を続けました。
弔辞でお二人がおっしゃっているように
「、、、本当は辛いはずなのに、いつも3人で会うときは『笑うことが一番の薬なのよ』と言って、明るく楽しい時間を過ごし、反対に私たちの方が励まされていたような気がします、、、お見舞いに行ったときも、体調が思わしくないにもかかわらず私たちを気遣い、いつものようにユーモアを忘れない、本当にかわいいスーさんでしたね、、、(ランちゃん)」
「、、、スーさんのことだから、すごくつらいときにも優しい心配りで、周りの人たちをなごやかにさせ、その場の雰囲気をぱあっと明るく変えたのではないかと想像できます。、、、(ミキちゃん)」
周囲の方への心配りがすごい、優しい方ですね。
それと共に、19年もの間、親族以外に隠し通すなんて、よほど強い方なんでしょうね。
キャンディーズのメンバーは、2人になってしまいましたが、天国からランちゃんとミキちゃんを見守っていることでしょう。
改めて、田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。
ミキちゃんについては、こちらの記事もお読みください。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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