漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の、今くるよ(本名・酒井スエ子=さかい・スエこ)さんが、2024年5月27日、膵がんのために、大阪市内の病院で亡くなられました。
76歳でした。
28日に、吉本興業が発表しましたが、奇しくもこの日は、胃がんのため亡くなった、相方今いくよさんの9年目の命日でした。
今くるよさんは、相方の今いくよさんが2015年に亡くなった後は、ピン芸人として活動していました。
近年は仕事をセーブしていました。
2022年4月に、大阪・なんばグランド花月(NGK)で開催された吉本110周年記念の「伝説の一日」に車いすに乗って出演しました。
笑顔で、持ちギャグの「どやさ!」をジェスチャーを交えて連発していました。
これが最後の舞台でした。
今くるよさん死去 膵がんのため
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) May 28, 2024
「どやさ!」で一世を風靡https://t.co/7APF2kGQAj
1970年、高校の同級生同士で「今いくよ・くるよ」を結成。お互いの体型や派手なファッションなどをネタに女流漫才のパイオニアとして活躍。いくよさんは2015年5月28日に亡くなり、ちょうど9年後にくるよさんの訃報… pic.twitter.com/o7hR866obk
この記事を読んで分かること
今くるよさんの死因
今くるよさんのプロフィール
今くるよさんのエピソード
この記事を書いた人
5人の息子を育てながら、中学校の数学の教員を30年間続けました。
退職後、2023年3月に64歳で、ブログを始めようと思いたち、4月10日から公開し始めました。
学生時代は、ピアノ、バイオリン、お琴など音楽系の習い事をしていましたが、現在は、40代から始めた社交ダンス、退職してから始めたヨガなど、身体を動かすことにハマっています。夫と2人暮らし。
母と義母が健在で、時々介護のようなことをしています。
今くるよさんの死因
漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の今くるよさんは、(本名・酒井スエ子=さかい・すえこ)27日に、大阪市内の病院で亡くなられました。
76歳でした。
死因は、膵がんでした。
吉本興業が発表した28日は、奇しくも、胃がんで亡くなった、相方今いくよさんの9年目の命日でした。
女性漫才師の草分け的存在の今くるよさんの訃報に、ネットも悲しみに包まれ、X(旧ツイッター)のトレンドでは「今くるよさん」のワードが2位まで急浮上しました。
今くるよさん死去
— オワオワリ (@bazutoku) May 28, 2024
どやさ!で一世風靡
漫才コンビ「今いくよ・くるよ」
二人共命日が5月28日なのか…
ご冥福をお祈りします pic.twitter.com/AZlITpTtvm
【訃報】
— 妖精トロール🧚カバじゃない (@amse070707) May 28, 2024
今くるよさん、膵がんで死去 「どやさ!」で一世を風靡【報告全文】オリコンニュース
今いくよさんがお亡くなりになられて、ちょうど9年。明るい笑顔の今くるよさんの事は今でも忘れられません。
天国でいくよくるよコンビを再結成し、漫才を楽しんでください。
ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/mqXsJLsRK7
どれだけ笑っただろう。
— 藤澤ノリマサ NorimasaFujisawa (@fujisawa_0308) May 28, 2024
挫けそうな時、元気が出ない時、疲れた時、
良く漫才を拝聴していました。
今くるよさんに、たくさんのパワーをいただきました。
ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。#今いくよくるよ#今いくよ#たくさんのお笑いをありがとうございます…
今くるよさんのプロフィール
今いくよ・くるよ | |
---|---|
メンバー | 今いくよ 今くるよ |
結成年 | 1970年 |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1970年〜2015年 |
師匠 | 島田洋之介・今喜多代 |
出身 | 京都府京都市 |
出会い | 京都明徳高等学校 |
芸種 | 漫才 |
受賞歴 | |
1981年 上方お笑い大賞 金賞 1982年 花王名人大賞 最優秀新人賞 1982年 上方漫才大賞 奨励賞 1984年 上方漫才大賞 大賞 1984年咲くやこの花賞 大衆芸能部門 漫才 1986年 上方お笑い大賞 大賞 1987年 花王名人大賞 名人賞 1988年 花王名人大賞 大賞 |
OL経験を経て、1970年、高校で同じくソフトボール部員だったいくよさんとともに島田洋之介さん・今喜多代さんの夫婦コンビに弟子入りし、漫才デビュー。
遅咲きでしたが、やせたいくよさんと太めのくるよさんが、お互いに体型や容姿・ファッションをイジり合うのが受けて、81年に「上方お笑い大賞」の金賞を受賞。84年には「上方漫才大賞」の大賞に輝きました。
けれども、他人に対しては、褒めることはあっても悪口を言ったり、笑いに使うことはほとんどありませんでした。
そのため、老若男女を問わず幅広いファンがいました。
もちろん私も大好きでした。
私もちょっと腕が太いので、くるよさんのように腕を出した服を着ると「こんなとこから足出して」と言われます。
「今いくよ・くるよ」のお2人は、女性漫才師のパイオニアとして、多方面で活躍しました。
お2人の親交は40年以上にわたって続きましたが、コンビ仲がとてもよかったことで知られていました。
今くるよさんのエピソード
両腕を出した派手な衣装は、今くるよさんの代名詞でもありました。
初期は地味な衣装でしたが、後年は肌の露出が多く、派手な色柄やフリルのついた衣装を着ていました。
この衣装については、専属のデザイナーがついていて、すべて手作りでした。
派手な手作り衣装を着るようになったのは、倉敷市民会館での公演時に、衣装を忘れてしまい、会館にあったカーテンをアレンジして衣装にして舞台に立ち、それが好評だったことがきっかけだそうです。
2009年には、NGKの出番中に引きつけを起こして突然倒れ、大阪市内の病院へ緊急搬送され、心筋梗塞と診断されました。
腹を叩いたり、両手を顔の前で交互に前後ろにしたり、「どやさ」と言ったりするのが持ちギャグで、その際の身振り手振りを、中川礼二(中川家)によってよくモノマネのネタにされていました。
近年は、今いくよさんが亡くなった後、ユニットを組んだこともある中川家ら、後輩の活躍を楽しみにしていました。
2022年4月、なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」に出演したのが最後の舞台になりました。
まとめ
今くるよさんの死因は、膵がんでした。
京都市出身で、OL経験を経て、1970年、高校で同じくソフトボール部員だったいくよさんとともに島田洋之介さん・今喜多代さんの夫婦コンビに弟子入りして、漫才デビュー。
数々の賞を受賞し、老若男女を問わず幅広いファンがいました。
両腕を出した派手な衣装は、衣装を忘れて、会館にあったカーテンをアレンジして衣装にして舞台に立ち、それが好評だったことがきっかけで、専属のデザイナーがついていて、すべて手作りでした。
たくさんの方々に笑いを届け、老若男女たくさんのファンがいた今くるよさん。
天国でまた今いくよさんと一緒に漫才をして、みんなを笑わせてあげてください。
ご冥福をお祈りいたします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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