今回は、昭和を愛する22歳!阪田マリンさんについて調べてみました!
阪田マリンさんは、「昭和」に憧れを持ち、令和の時代の若者にも「昭和」の魅力を伝える為に「ネオ昭和」を提唱し、様々な世代から人気を集めています!
2023年11月現在でTwitter (現在X)フォロワー数が17.9万人、インスタグラムのフォロワー数が7.3万人とフォロワー数もどんどん増えていっています!
ルックス・スタイルともに抜群で、昭和と現代を融合させたファッションが非常に似合っていて、人気があります。
今回は、そんな阪田マリンさんについて紹介していきます!
この記事を読んで分かること
・阪田マリンさんのプロフィール、昭和にハマったきっかけ
・阪田マリンさんが、昭和好きをカミングアウトした時の状況
・阪田マリンさんが、大阪芸術大学放送学科を選んだ理由
・阪田マリンさんが提唱する「ネオ昭和」とは何か
・阪田マリンさんが今力を入れていることは何か
この記事を書いた人
5人の息子を育てながら、中学校の数学の教員を30年間続けました。
退職後、2023年3月に64歳で、ブログを始めようと思いたち、4月10日から公開し始めました。
学生時代は、ピアノ、バイオリン、お琴など音楽系の習い事をしていましたが、現在は、40代から始めた社交ダンス、退職してから始めたヨガなど、身体を動かすことにハマっています。夫と2人暮らし。
母と義母が健在で、時々介護のようなことをしています。
阪田マリンさんのプロフィール!
写ルンですはiPhoneカメラの何百倍も
— 阪田マリン (@marin_syowasuki) October 22, 2023
質感がイイ♡ pic.twitter.com/fftkMpnjmB
- 本名:阪田 茉鈴
- 生年月日:2000年12月22日
- 年齢:22歳
- 出身地:大阪府
- 身長:166cm
- 体重:非公開
- 血液型:非公開
- 高校:大阪府内の高校
- 大学:大阪芸術大学放送学科
- 好きなアーティスト:中森明菜、松田聖子
- 尊敬する芸能人:山口百恵
阪田マリンさんが昭和にハマった原点
阪田マリンさんが昭和にハマったのは、中学2年生の頃でした!
おばあちゃんの家で、たまたまチェッカーズのレコードを聴いて、感動したことがきっかけだそうです。
「ある日、おばあちゃんの家に行ったとき、レコードプレーヤーがあったんです。CDしか知らなかった私は、『これ、何なん? どうやって音楽を聴くの?』と聞いたら、『針を落として聴くんだよ』と教わりました。そこで初めてレコードの存在を知って、実際にお父さんが聴いていたチェッカーズの『SONG FOR U.S.A.』を流してみて、感動したんです。なんせ、針1本で音が流れ出す。それがすごいと思いました。そこからレコードを集めようと、日本橋に通い始めました」
引用元https://1-one.jp/documentary/d2204_0022/
阪田マリンさんの昭和への憧れのきっかけは、レコードからだったんですね。
その後、阪田マリンさんの興味は、音楽だけにとどまらず、映画やファッションへと続いていきました。
「音楽にハマったあとは、角川映画が好きになりました。『セーラー服と機関銃』『スローなブギにしてくれ』『2代目はクリスチャン』……。そこから薬師丸ひろ子さんや浅野温子さんの衣装に興味が出て、ファッションを真似するようになりました。そういう服はもう売っていないので、おばあちゃんやお母さんに頼んで、『当時着ていた服が欲しい』と言ってはびっくりされました(笑)」
引用元https://1-one.jp/documentary/d2204_0022/
平成の中学生が、昭和なものにハマるなんて、昭和生まれの私としては、嬉しいですね。
そのようにして、阪田マリンさんは思春期を昭和に没頭して過ごしました。
阪田マリンさんは高校の時に昭和好きをカミングアウト
阪田マリンさん、実は中学2年から高校1年までは、昭和好きを周りに隠していました。
1人だけ浮いたことをするのは、どうなんだろうと思っていたそうです。
それで、みんなでカラオケに行くときも、本当は演歌や昭和の歌謡曲が歌いたかったのに、みんなが歌っている流行りの歌を歌っていたそうです。
でも、高校2年生の時、友達もできていたので、思い切って好きなことをさらけだそうと思ったそうです。受け入れてくれなかったら、ほんまの友達じゃないと思ったので。そして。。。
「高校2年になると、私服だけじゃなくて制服もレトロにしたいと思っていました。当時、『ビーバップハイスクール』『湘南爆走族』『シャコタンブギ』を観た影響で、昭和のヤンキーにハマっていたんです。高校は私立で校則が厳しかったので、ミニスカートは禁止。でも三原順子さんみたいな超ロングならいけるんちゃうかと。制服のスカートを2枚縫い合わせて登校したら、生活指導に『あかん』と言われて体操服に着替えさせられました。でも、気分は昭和のヤンキーだったので、一度は『おかしい』と言い返しましたよ。みんなに昭和好きを知らしめようとしたのに、失敗しましたね」
引用元https://1-one.jp/documentary/d2204_0022/
失敗はしたけれど、友達は受け入れてくれて、むしろ「マリン、おもろいわー」と言ってくれたそうです。
よかったですね。
その気持ちすごくよく分かります。私もちょうど同じように、高校生になるまでは、自分が思っていることを隠して周りに合わせていました。
でも高校1年生ぐらいから、「私は私でいいんだ、自分がいいと思うことをやろう」と思ってからは、すごく楽になった気がしました。
そして、その後のマリンさんは、昭和好きを隠すことなく、自分を貫いていったそうです。
「私は自分の好きをさらけだしたことで、共感してくれる人も増えて、同世代だけじゃなく、いろんな世代の支持を集めています。最近、ファンの方からとてもうれしいDMが届きました。『私も昭和が好きでしたが、恥ずかしくて隠している自分がいました。でも、マリンさんの投稿を見ていたらさらけだしてみようと思いました』。過去の私を見ているようで、うれしかったですね。今の私は、昭和を身にまとっていないと、100%の力を出されへん(笑)。自分を出すには、自分の着たい服を着て好きなことをやることが大事だと思います。好きなことは好きだといえるほうが人生は楽しくなる。自分らしく、そのままを貫いてほしいですね」
引用元https://1-one.jp/documentary/d2204_0022/
阪田マリンさんが大阪芸術大学放送学科を選んだ理由
阪田マリンさんが、大阪芸術大学放送学科を選んだ理由は、
高校時代にガソリンスタンドでバイトをしていた時に流れていたラジオの魅力に取りつかれたからだそうです。
「高校3年間、ガソリンスタンドでアルバイトをしていました。そこで流れていたのが、ラジオ。そんなに忙しい店でもなかったので、ラジオを聴いている時間が長くて、次第におもしろいなと思ったんです。音だけなので、テレビよりも想像が広がって、情景が浮かんでくる。将来はラジオパーソナリティになりたいと思いました。現在は、アナウンス技術が学べる放送学科のある大阪芸術大学に通っています」
引用元https://1-one.jp/documentary/d2204_0022/
大学時代には、バイトで稼いだお金で、地元のラジオ局の1年間分の枠を買って、台本や音楽、お便りメールなど全部自分で用意して『マリンのヒットナイトスタジオ』という番組を放送していたそうです。
すごいですね。大学生でそんなことを思いついて、実際に実行するなんて!
夢に向かっての努力を惜しまないところが素晴らしいです!
そして、実際に、2023年にはMBSラジオ「阪田マリンのヒットナイトスタジオ」という冠番組でラジオDJデビューを果たしています!
また、現在、大阪府ラジオ関西で「マリンの気になるネオ昭和」(毎月1回、第2火曜日11時20分~)のパーソナリティも務めているようです。
阪田マリンさんが提唱する「ネオ昭和」とは?
阪田マリンさんがハマった昭和を、そのまま再現しても受け入れられないと、昭和と現代をミックスしたのが「ネオ昭和」なんですね!
「SNSを初めた最初のころは、昭和の再現をしていて、当時の世代の人から“懐かしい”と言ってもらうことが多かったです。でも私は、昭和の良さを若い世代の人たちにも分かってもらいたくて。昭和を真似するだけだと、みんなピンとこないと思ったので、今の流行りと昭和の良さを混ぜようと始めたのが、昭和に今っぽさを加えた“ネオ昭和”。全部を昭和にするんじゃなくて、洋服はボディコンだけど、メイクは今っぽく、靴も流行りのスニーカーを合わせてみるとか。そういうスタイルを発信していくうちに、若い世代からのフォローも増えてきたんです」
引用元https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/
阪田マリンさんは、昭和と現代のミックスによって、若者へも昭和の魅力を伝えるることに成功しました。
「私が考える “ネオ昭和”という言葉には、“現代と昭和の融合”という思いを込めています。扮装をする時にも、全部を“昭和”にしてしまうと昔のコスプレをしているだけになってしまうので、オリジナリティを混ぜながら発信をするようにしている」
引用元https://moviewalker.jp/news/article/1078151/
ちなみに「ネオ昭和」のネオは昭和に公開された大作アニメ「AKIRAアキラ」に登場する「ネオ東京」から取ったんだそうです!
阪田マリンさんが今力を入れていること
今、阪田マリンさんが力を入れているのは、ザ・ブラックキャンディーズというユニットでの活動です。
2人組で、昭和を広めていくための活動をしていて、今年の昭和の日・4月29日にデビューしましたが、あと2年。昭和100年をもって解散すると決めているそうです。
「ズルズルするよりも、スパっと辞めるほうが、一生懸命にできるし、かっこいいかなと思うので」
という考えからだそうですが、山口百恵みたいで、潔くて、かっこいいですね!
まとめ
- 阪田マリンさんが昭和にハマったきっかけは、レコード
- 阪田マリンさんは、高校2年の時に、昭和好きをカミングアウトした
- 阪田マリンさんは、ラジオに惹かれて大阪芸術大学放送学科に入学
- 阪田マリンさんが提唱する「ネオ昭和」とは、現代と昭和の融合
- 阪田マリンさんが今力を入れていることは、ザ・ブラックキャンディーズの活動
今回、阪田マリンさんについていろいろと調べて、とてもしっかりとしたお嬢さんだなと思いました。
「私の家は一つの敷地に3つ家屋があって、おじいちゃんやおばあちゃん、いとこの家族など、合わせて10人で住んでいるんです。反抗期で親に悩み事を相談しづらかった時期は、おじいちゃんやおばあちゃんに支えてもらうこともあって。アキラくんと同じように、私も周りの人に支えられて育ってきたんだなと思います」
引用元https://moviewalker.jp/news/article/1078151/
というように、大家族で育ち、しっかりと躾けられて、なおかつ愛情たっぷりに育てられていると思います。
自分の考えをしっかりと持ち、それを発信することができる。また、夢に向かっては、努力を重ね、実現していっている。
素敵なお嬢さんだと思うと同時に、ファンになってしまいました。
そして、思い出したことがあるのです。
私は、男の子を5人産んでいるのですが、実は、女の子が欲しかったんです。
それで、最初から、女の子の名前を考えていました。
長男の時は、「すみれ」
次男の時は、「さゆり」
三男の時は、「美咲」
四男の時は、、、忘れてしまいました。
五男の時は、なんと!「まりん」だったのです。
それを思い出すと、ますます阪田マリンさんを応援したくなりました!
これからもますますご活躍されることをお祈りします。
コメント