子育てと介護は似ていると思うことがあります。
もちろん、全く違うところもあります。
それについて書こうと思います。
この記事を読んで分かること
・良かれと思って、楽になるようにしてあげると、かえって本人のためにならないところが、似ている
・目の前の幸せよりも、将来の幸せを考えるところが、似ている
・子供の世話をするのと、親のお世話をするのとでは、気持ちが違う
・子育ては、終わりがだいたい分かっているけれども、介護の終わりは、分からないところが違う
この記事を書いた人
5人の息子を育てながら、中学校の数学の教員を30年間続けました。
退職後、2023年3月に64歳で、ブログを始めようと思いたち、4月10日から公開し始めました。
学生時代は、ピアノ、バイオリン、お琴など音楽系の習い事をしていましたが、現在は、40代から始めた社交ダンス、退職してから始めたヨガなど、身体を動かすことにハマっています。夫と2人暮らし。
母と義母が健在で、時々介護のようなことをしています。
子育てと介護の似ているところ
夫の父の場合
昔は、バイク🏍️に乗って、岡山から奈良まで、毎月のように通っていました。
年をとってからは、テレビ📺のお守りをしていました。
こたつで座椅子に座って、一日中、テレビ📺を見ていました。
立ち上がるのは、食事の時と、トイレ🚽に行く時ぐらいです。
それでも、一日に何回ぐらいでしょうか。立ったり、座ったり、歩いたりするのは、いい運動になっていたと思います。
いつもいる部屋から、トイレ🚽までは、15mぐらいかと思います。
トイレ🚽のすぐ近くの部屋に移り、ベッドで寝てテレビ📺を見るようになって、急に衰えたような気がします。
床から立ち上がるのと、ベッドから立ち上がるのとでは、使う筋肉や筋力が違うと思います。
しまいには、トイレ🚽までも歩かず、ベッド🛏️の横にポータブルトイレ🚽を置いて、用を足していました。
ほとんど、寝たきりになってしまいました。
母の場合
こう言っては何ですが、家の中が非常に散らかっています。
なので、歩く時には、足を持ち上げないと、物につまずいてしまうかもしれません。
だから(だと思いますが)、母は、一歩一歩、慎重に歩きます。
足を持ち上げるので、腸腰筋の筋トレになっているのではないかと思います。
それから、母もデイサービスや、ダンスやカーブスに行かない日は、一日中、テレビ📺のお守りをしています。
けれども、ベッドではなく、畳の上に座ってテレビ📺を見ているので、一日に何十回も(トイレ🚽が近い)立ったり座ったり、歩いたりしています。
さっと立ち上がれず、時間はかかるのですが、筋トレになって良いみたいです。
以前、立つのが楽だろうからと、ソファー🛋️にしたところ、てきめん、足腰が衰えて来たようだと、弟が言うので、やめました。
まとめ
良かれと思って、楽になるようにしてあげると、かえって本人のためにならないことがあります。
先のことを考えて、心を鬼にして、、、。
本人がその時は、少ししんどくても、ずっと自分の足で歩ける方がいいのではないかと思います。
目の前のその人の幸せよりも、将来の幸せを考えるところが、子育てと似ていると思ったのです。
子育てと介護の違うところ
気持ち
子供の世話をするのと、親のお世話をするのとですが、気持ちが違うと思います。
子供に対しては、自分が親であるから、どうしても、ちょっと偉そうな気持ちがあると思います。
それに、将来立派な大人になるように育てなければならないという責任感もあります。
親に対しては、自分を育ててくれたという感謝の気持ちがあるので、当然偉そうな気持ちはありません。
だから、何か失敗をした時には、相手が子供だったら、ついつい怒ってしまうところですが、親となると、当然、怒りません。
すごく急いでいる時に、
子供には、
「早くしなさい!」
と言いますが、
親の場合は、早く出来ないことも分かっているので、ただひたすら待つだけです。
もちろん、子育てをしていた時より自分も成長しているということもあるし、忙しさの度合いも違うから待てるということもあります。
今ぐらいの精神状態で、子育てをやり直せたら、もう少しうまく出来るかなと思います。
卒業
もう一つ違うのは、子供は、どんどん成長していくけれども、親は、どんどん衰えていくということです。
子育ては、終わりがだいたい分かっているけれども、介護の終わりは、分からないということです。
分からないからこそ、後悔のないように、したいと思います。
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