母親に情けをかけるのは、本当に母親のためになっているのでしょうか?
いろいろな例から考えてみました。
この記事を読んで分かること
・情けをかけると母のためになっていない例
この記事を書いた人
5人の息子を育てながら、中学校の数学の教員を30年間続けました。
退職後、2023年3月に64歳で、ブログを始めようと思いたち、4月10日から公開し始めました。
学生時代は、ピアノ、バイオリン、お琴など音楽系の習い事をしていましたが、現在は、40代から始めた社交ダンス、退職してから始めたヨガなど、身体を動かすことにハマっています。夫と2人暮らし。
母と義母が健在で、時々介護のようなことをしています。
弟
私は5人きょうだいで、女が4人。弟は、ただ1人の男です。
だから、ちょっと甘やかされて育ちました。
女4人は、全員、好き嫌いもなく、何でも食べて、身体も丈夫です。
けれども、弟は、小さい頃好き嫌いがあり、嫌いなものを食べないので、代わりに、好きなものをたくさん食べさせていました。
例えば、牛乳や卵などを人一倍、食べていたと思います。
そのせいか、アトピー性皮膚炎、喘息で、小さい時から、苦しんでいました。
それ以外にも、幾つも病気を抱えています。
なので、母は、弟にいろいろしてあげなくちゃという気持ちがあると思います。
だから、今でも母は弟に何でもしてあげようとします。
母のサービス精神
でもそれは、弟に対してだけではありません。
いつも、私が行くと、
「コーヒー入れようか?」
と言ってくれます。
「今飲んできたばかりだから」
と断っても、すぐ忘れるので、何回も聞いてくれます。
そして、座布団をすすめてくれます。
断っても、気になるらしく、何回もすすめます。
台所から居間へ
母が、台所でコーヒーを入れて、よちよちと居間に運んで来てくれます。
危なっかしい手つきで、手は震え、足元もおぼつかない感じです。
なので、私は、居間から手を伸ばして受け取ります。
大抵の人は、その様子を見たら、手伝わずにはいられないと思います。
ところが、弟は、手を出さないのです。
母は、こたつのところまで、自分で運んで来ます。
ちょっと考えると、ひどいとか、可哀想とか思うかもしれません。
小さい時から、ずっとそうやっていろいろやってもらって来たから、それが当たり前になっているのか、わざとそうすることが良いと考えてやっているのか分かりません。
弟がしないので、母は、自分でやらざるを得なくて、弟のためにご飯を作り、運びます。
でも、どうやらそれがいいみたいなのです。
母の訓練になっているようなのです。
妹
たまに、妹が泊まってくれます。
他県から来るので、2泊か3泊します。
すると、妹は、ご飯を作ったり、洗濯をしたり、掃除をしたり、いろいろと母を助けてくれます。
それは、ありがたいことなのですが、妹が帰ったあと、母の物忘れが進むみたいなのです。
例えば、数日間妹がやってくれるので、母が使わなくなるだけで、電子レンジの使い方が分からなくなったりするようです。
でも、何日かすると、また思い出すので、それでいいのですが。
でも、もし、私や妹とずっと一緒に暮らしていたら、どうしても、いろいろと手伝ってしまうと思うのです。
だから、弟と暮らしていて、ちょうどいいのだなぁと思います。
弟だからこそ、ちょっと母をスパルタに鍛えられるのだと思うのです。
まとめ
というわけで、本当は、
「情けは人のためならず」
の意味は、
『情けをかけておけば、それが巡り巡ってまた自分にも良い報いがある』
というのが正しい意味であって
『情けをかけるとその人のためにはならない』
というのは、間違いです。
でも、あえて、この題名にしました。
情けをかけると、母のためにはならないようです。
でも、そこが難しいところですね。
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