物忘れをする可愛い母のこと

エピソード
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母のことを書きます。
私の行く道でもあるし、記念にもなるので、書き残しておきたいのです。

この記事を読んで分かること
・母が物忘れをするようになったのはいつ頃か
・物忘れ外来を受診するようになった経緯
・日常生活で困っていること

この記事を書いた人
5人の息子を育てながら、中学校の数学の教員を30年間続けました。
退職後、2023年3月に64歳で、ブログを始めようと思いたち、4月10日から公開し始めました。
学生時代は、ピアノ、バイオリン、お琴など音楽系の習い事をしていましたが、現在は、40代から始めた社交ダンス、退職してから始めたヨガなど、身体を動かすことにハマっています。夫と2人暮らし。
母と義母が健在で、時々介護のようなことをしています。

物忘れの始まり

母は、75歳ごろから、毎月用事で高知県に行っていました。

はっきり覚えていないのですが、電車で大阪へ行って、そこから高速バス🚌に乗っていたと思います。

あるとき、叔母から電話があり、
「お姉ちゃんが、まだ着かない」
というのです。

驚きましたが、翌朝、なんとか辿り着きました。
聞けば、大阪で迷ったらしく、どこか外で一夜を過ごしたようでした。

「もう、これからは、1人で高知県へ行ってはいけない」と子供達全員で、反対しました。

その頃、弟の薬を代わりに病院まで取りに行ったら、病院を行きすぎてどんどん行ってしまったとか、言っていました。

この辺りが、物忘れの始まりだったと思います。

それが十数年前のことです。

物忘れ外来

物忘れは、治せないけれど、遅らせる薬はあるということを聞いて、病院に連れて行くことにしました。

私は、5人兄弟の長女で、妹3人に弟が1人です。

妹2人は、免許は持っていますが、他府県に住んでいます。

1人の妹は、近くに住んでいますが、免許を持っていません。

弟は、免許を持っていますが、車を持っていません。

というわけで、私が連れて行くしかないと思いました。

ネットで病院を探すと、実家から40分ぐらいかかるところが見つかりました。

その頃、私は、まだ仕事をしていたので半日有休をとって、連れて行っていました。

その後、近くの病院でも「物忘れ外来」があることを知り、移ることにしました。

あれから、十数年経ちます。
少しずつ進行しているのかもしれませんが、薬のおかげか、日常生活が送れているのは、ありがたいことです。

日常生活

母は、弟と2人で暮らしています。
弟は、病気がちなので、就職していません。

だから、一日中家にいてくれるので、助かります

母は、週に3日デイサービスに行き、週に2日カーブスに行き、その2日のうち1日は、ダンス💃にも行きます。

なので、週に5日は、出かけています。

そして、一応母がご飯を作っています
まぁ、レンジでチンが多いとは思いますが。

それでも、1人で暮らすのには、無理があります。

なので、弟の存在は大きいです。

お互いに、持ちつ持たれつです。

弟の話

私が行くと、弟がいろいろと話してくれます。

1️⃣ 夜中の12時ごろに、台所でゴソゴソしているから、
「どうしたの?」
と聞くと

「ご飯作っているの」
って、お昼ご飯🍚の時間と間違えてるやん!

外は暗いのだけど、時計だけ見て判断してる!

2️⃣ 弟が、せっかく楽しみにしていた、いただきものの生ハムを焼いちゃった!

3️⃣ 弟が、大事だと思って隠しておいたものに限って、母が、どこかにやってしまう。

4️⃣ おかずを、それぞれに入れ分けてくれたらいいのだけど、一皿に2人分盛っておいて、

①自分がもう食べたことを忘れて、弟が食べてしまったと思って怒る。

②逆に、弟がもう食べたのに、「もっと食べ」と言って食べさせて、弟は太り過ぎ、母は、足りないからお菓子を食べる。

③自分が食べたことを忘れて、さらに食べてしまって、弟の分がない。

5️⃣ 弟が、
「◯◯して欲しい」
と要望をいうと、
「早よう、死ぬことや」
とすねる。

でも、5分後には、言ったことを忘れているのですが、、、。

弟は気が優しいので、イライラすることもありながらも、笑い話にしながら一緒に暮らしてくれているので、助かります。

弟には、感謝です!

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