秋川リサの本名や身長や夫、そして現在は何をしているのか調べてみた

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徹子の部屋のゲストを調べていたら、秋川リサという名前を見つけました。

そこで、秋川リサさんのことについて調べてみることにしました。

すると、とても素敵な生き方をされていることが分かりました。

なので、皆さんにも知っていただきたいと思い、秋川リサさんについて書くことにしました。

この記事を読んで分かること
・秋川リサさんの本名、身長などのプロフィール
・秋川リサさんの夫は誰なのか?
・秋川リサさんは現在何をしているのか?

この記事を書いた人
5人の息子を育てながら、中学校の数学の教員を30年間続けました。
退職後、2023年3月に64歳で、ブログを始めようと思いたち、4月10日から公開し始めました。
学生時代は、ピアノ、バイオリン、お琴など音楽系の習い事をしていましたが、現在は、40代から始めた社交ダンス、退職してから始めたヨガなど、身体を動かすことにハマっています。夫と2人暮らし。
母と義母が健在で、時々介護のようなことをしています。

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秋川リサさんのプロフィール

秋川 リサ(あきかわ りさ)
本名:伊藤 リサ
生年月日: 1952年5月12日 (年齢 71歳)
出生地: 東京都
カテゴリー:ビーズ作家、女優、ファッションモデル、タレント
所属:株式会社グリーンメディア所属
身長:169cm(諸説ありますが、事務所のプロフィールより)
血液型:B型
子供:1男、1女(元女優の伊藤麻里也) 

“合いの子”といじめられて

秋川 リサさんは、日本人の母アメリカ人の父との間に生まれた、いわゆる“ハーフ”でした。

両親は正式に結婚していませんでした。
なぜかというと、父親は当時、日本に駐留していたアメリカ軍の技術者で、秋川 リサさんが生まれる前に日本を去っていたからです。

「いじめは当たり前のようにありましたよ。まだ“ハーフ”なんて気のきいた言葉はなくて、“混血”と言われるのはまだいいほう。“合いの子”ですからね」

そんな状況の中で、くじけずにいられたのは、おばあさまのおかげだったそうです。

「祖母は、私が小さいころから
『日本人は単一民族だという誇りがあるから、血が混ざった子どもが生まれれば差別や区別されるのは当たり前。まして、親は正式に結婚してないのだから嫌われてもしかたないわね』
と、いつも私に言い聞かせていました。だからそれに関しては、子どもながらに納得していたんです」

モデルという仕事にたどり着いたのも、祖母の助言があったからだということです。

「『人と違う風貌を武器にして、人と違う個性を生かしなさい
自立した女性になりなさい
と事あるごとに言われていました」

素敵なおばあさまですね。

秋川 リサさんの人生にとても大きくかかわられた大切な方なんですね。

私にも今のところ11人の孫がいますが(まだ増えるかもしれません)、孫にそんなこと(生きる力を与えられるようなこと)を言ってあげられるかなと思います。
一緒に暮らしていないので、よけいに難しいでしょうね。

今では、“ハーフ”の方は、芸能人にも、スポーツ選手にもたくさんいらっしゃって、大活躍されている方も多いので、ほとんど抵抗感もないと思いますが、当時は、まだまだ珍しくて、秋川 リサさんは、とても苦労されたのですね。

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校長先生の言葉

秋川 リサさんが高校に入ったころのことです。

水着の撮影で、1か月間、タヒチに行かなければならなくなりました。

「アルバイトが禁止の学校だったので、内緒で仕事をしていたんです。さすがに、仕事のために1か月も休んだら“クビ”だろうなと思っていました……」

叱責(しっせき)と厳しい処分が下されると思っていた秋川 リサさんに、帰国後、校長先生がかけた言葉は意外なものでした。

「開口一番『世界は広いでしょ。あなたは幼くして世界を見ることができて、本当に素晴らしい経験をしましたね』と言ってくれたんです」

なんと、素敵な校長先生なんでしょう。

しかも、特例で学校に残れるよう配慮をしてくれたのです。

しかし、すでに化粧品会社と繊維会社との専属契約をすませていた彼女は、アルバイトが可能な高校に転入することになりました。

それでも、最後まで校長先生は秋川 リサさんのことを気にかけてくれていたそうです。

「最終登校日に、わざわざ校門のところまで見送りに来てくれて、
誇りを持ってあなたを次の社会に旅立たせます
と言ってくれたんです。
あの言葉がなければ、私はグレていたかもしれない
それまで、“なんで親のために働かなきゃいけないの?”とか、“学校なんて行かなくてもいい”なんて思っていましたから」

なんて素晴らしい校長先生だったのでしょう!

でも、そんな校長先生に出会えたのも、秋川 リサさんにがあったからでしょう。

どんな人と出会うのも、また出会わないのもその人の徳によるのだそうです。

四男が血液の病気になった時、たまたま血液専門のお医者さんに出会って、すぐに良くなることができました。
その時に、言われたのが、
「いつもだったらいないお医者さんが、その時たまたまいて助かる人もいれば、いつもならいるお医者さんが、その時たまたまいなくて助からない人もいる。それもその人の徳なんだよね」
という言葉でした。
それが、今でも心に残っています。

だから、徳を積まないといけないのです。

モデル・タレント・女優・ビーズ刺繍作家として活躍

15歳でテイジン専属モデルとしてデビューしました。

16歳で雑誌「ananのレギュラーモデルとして活躍し、その名前が広く知られるようになりました。

その後、トップモデルとしてパリコレクション・一流デザイナーのショー等に数多く出演するようになりました。

CMで大人気でした。

とっても可愛いですね。

「なんと!スープです!!」はよくモノマネした覚えがあります。

更に、タレントとして活躍の場を広げ、テレビ・ラジオ等司会コメンテーターとしてキャラクターを発揮しました。

女優としてドラマ・映画・舞台で数々の話題作に取り組みました。

また、独自の感性で著書・エッセーを発表しました。

更に、芸能活動と並ぶもうひとつのライフワークであるビーズ刺繍作家としても活躍中です。

介護生活

秋川 リサさんが57歳のときに、実の母の介護生活がスタートしました。

介護をされている方は、どなたもそうでしょうが、大変だったみたいです。

私の母の場合は、足腰がそこまで強くなくて、一日中家で座っている人なので、秋川 リサさんのお母さんのように、徘徊する人は、大変ですね。
母も自分で言ってます。
「徘徊する人は大変やなあ」
って

そうした中で、衝撃を受ける出来事があったそうです。

お母さんがデイサービスに行っている間に部屋を片づけていたら、古いノートが出てきました。

そこには「娘なんて産まなければよかった」「面倒みてるからって偉そうに」といった秋川 リサさんへの罵詈雑言が綴られていたのです。

秋川 リサさんが子供の頃。お母さんは、生活のためにスナックを開いて働いてはいたけれど、恋人ができると家に帰ってこない日もあったそうです。

秋川 リサさんの世話をしてくれたのは、同居していたおばあさまだったそうです。

秋川 リサさんは、15歳でモデルの仕事を始めて一家を支えました

19歳家を建てました

母のために頑張ってきたのに、感謝されるどころか恨まれていたなんて、秋川 リサさんはショックでした。

そして、2年間の在宅介護の後、養護施設で5年間、計7年間の介護生活を送りました。

どのような気持ちでその7年間を過ごされていたのでしょうか?

推しはかることも難しいです。

立派だなぁと思います。

私の母は、何かするたびに「ありがとう」「ありがとう」と言ってくれます。それまでに母が私にしてくれたことを考えると、そんなこと当たり前のことですが、母はとても感謝してくれます。
そうやって感謝されながら介護をするのと、恨まれながら介護をするのとでは、雲泥の差ですよね。
自分が介護される側になったら(出来るだけならないようにしたいですが)、感謝する人になろうと思います。

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7年間の介護生活を終えた後

秋川 リサさんは、

「ひょっとしたら自分も認知症になるかもしれない。そのときに、どんな介護施設を選べばいいのか。介護者が本当に満足する介護とは何なのか?」

などのいろんな疑問から、約1年半、実際に介護施設で働きました

さらに、

「今は心理カウンセラー、シニアピアカウンセラー、終活ライフケアカウンセラーの資格を取りたいと思っているんです。あと日本語教師の資格。今年は、ジュエリーコーディネーターの資格も取りました。いずれ施設に入ってもお役に立てるようにね(笑)」
引用:秋川リサ、母の介護を終え第2の人生へ「いずれ施設に入ってもお役に立てるように」 (週刊女性PRIME) – LINE NEWS

と語っておられます。

これは、2017年の発言なので、そのうちどれだけ実行されたのか、されなかったのかは分かりませんが、“バイタリティー”がある方だということはわかります。

「いい年なんて言っていられないわよ。やりたいことがいっぱいあるんだから。資格も取りたいけど、家の断捨離もしなくちゃいけないし、愛犬のももを連れて船で世界1周もしたいし。」

やりたいことがいっぱいで、生き生きと生活されていますね。

私も、このように生きたいと思っています。

そうすれば、悩んでいる暇なんてありませんよね。

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秋川リサさんの夫は誰なのか?

秋川 リサさんは、1973年秋、21歳でカメラマン立木三朗(たつきさぶろう)さんと結婚しています。

立木三朗さんは、同じくカメラマンである立木義浩さんの弟です。

その時は、立木リサと言う名前で活動していました。

そして、4年後に離婚しています。

離婚の原因は経済格差だったようです。

秋川 リサさんの仕事は順調でしたが、立木さんはオイルショックの影響で仕事が減り、2人の間に溝が出来てしまいました。

1984年に、一般男性伊藤誠也さんと再婚しています。

1986年に男児、1987年に女児(元女優の伊藤麻里也)を出産しました。

その後離婚をし、39歳でシングルマザーとなって、2人のお子さんを立派に育てておられます。

そのためにも、必死で働いてこられたのでしょうね。

夫婦そろっていても、2人の子供を育てるのがやっとだと言う人も多い中、1人で育てるのは並大抵ではないでしょう。

経済的だけではなく、精神的にも肉体的にも大変だったと思います。

今度は、秋川 リサさんが子供さんたちから大切にされることを祈ります。

秋川リサさんは現在何をしているのか?

ビーズ刺繍作家

東京・大阪・名古屋など、全国14ヶ所で「秋川リサのビーズワーク教室」を開き講師を務めていました。

ユニークな発想で「誰もが気軽に楽しめる」というコンセプトと明るく飾らないキャラクターで人気を得ていたということなのですが、残念ながら現在はやっていないそうです。

講演会

株式会社システムブレーンの講師として、ご自分の経験を講演会で語っていらっしゃいます。

モデルから女優、そしてビーズ刺繍作家へと自らが経験してきたことを基に、輝く女性の生き方を提言されています。

また、実母の認知症介護を通して感じた、介護の現状、行政の高齢者対策、地域との人間関係など、介護生活の現実と家族のあり方などを語られます。

ごはん会

10年以上前から、近所の友人や行きつけのカフェバーで知り合った若者たちを集めて、自宅で定期的「ごはん会」を開催しているそうです。

手料理をふるまい、みんなで飲んで食べて、交流を深める楽しい会だということです。

息子さんや娘さんも加わることがあるそうで、
母の生存確認をよろしくお願いします。何かあったら連絡くださいね
と挨拶してくれるそうです。

こうして身近な仲間の輪を作ることは、いざという時のセーフティネットにもなるということなんですね。

ごはん会のルールは、

「何かにつけて若者に説教したがるジジ、ババは2度と呼ばない。マナーの悪い若者は2度と誘わない。老いも若きも、恋愛議論、政治議論、大いにけっこう。議論はしてもケンカはしない」

数年前のお正月には40人近くも集まったそうです。

うらやましいような気がしますが、私は、集まってこられるのは無理ですね。
家もそこまで広くないし、片付いていないし、お料理も得意ではありませんから。
でも、自分が行く方なら大丈夫です。
実際、化粧品のお仲間が10人ぐらい、マネージャーさんのお宅に集まってお食事をしたり、カラオケをしたりして、ワイワイ楽しくやっています。
お食事も、毎回違っていて、とっても美味しくて、楽しみです。

シェアハウス

秋川 リサさんは、お母さんが施設に入居されてホッとした途端、何もやる気が起こらなくなり、軽いうつ状態になってしまったそうなんです。

それでシェアハウスを始めたのだそうです。

シェアハウスにしたことで、家に誰かがいるという安心感を得られたのだそうです。

以前は、週末にシェアハウスの住人たちを3階のリビングに招いて、夕食をともにしていたそうです。

ひとりだと料理も掃除もいい加減になりがちですが、人を招くと部屋をきれいに保てるというメリットもあるということです。

「『ごはん会』に来る若者に“アメリカからやって来る交換留学生の子たちに部屋を貸してくれないか”と頼まれたことがきっかけです。当時はシェアハウスなんて言葉がまだなかったから、シェアハウスの先駆けね。」

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和裁に挑戦

秋川 リサさんは、一昨年から新たに和裁に挑戦しているそうです。

アフリカンファブリック(溶かしたロウで布に模様を描いて染めるろうけつ染めの技法を用いた織物で、アフリカンプリントとも呼ばれる)を使って自分で縫った着物を着ていらっしゃいます。

最初は手縫いの和裁教室で習っていたそうですが、

「一針一針縫って着物を仕立てていくには、私の残りの人生は短すぎる(笑)」

ということでミシン縫いの教室に通うことになったそうです。

和裁を始めたのは、お孫さんの七五三の着物を縫うためだというです。

40代からビーズ刺繍作家として活動することになったのも、娘さんのウェディングドレスを作りたいという夢が出発点だったそうです。

なのに、娘さんの結婚が決まった時、
「私はシンプルなドレスがいい。ママは光りものをつけすぎる」
と、あっさり断られてしまったんだそうです。(笑)

昨年、2人目の女のお孫さんが誕生して、上の男の子は昨年の9月で3歳になりました。

1年後には2人揃って七五三を迎えるので、今度こそ夢を叶えたいそうです。

断捨離

お母さんの遺品整理の大変さを経験したので、秋川 リサさんは、不要な物を残さないよう今から少しずつ断捨離を進めているそうです。

私も、そうしなければと思いながらも、なかなか実行できていません。

まとめ

秋川 リサさんの本名は、伊藤 リサ

・身長は、諸説ありましたが、事務所に問い合わせると、169cmとのことでした。

・現在は、ご自宅をシェアハウスのようにして、定期的に「ごはん会」を開いたり、また、和裁を習ってご自分の着物を縫ったりしておられます。
お孫さんお二人の七五三の着物を縫うのを楽しみにしていらっしゃいます。

行事と食育を兼ねて、月に一回は娘さんの家を訪ねて、秋川 リサさんが作った和食をお孫さんに食べさせることを実践しているそうです。

秋川 リサさんが目指すのは、センスのいいおばあちゃんだそうです。

若い人たちと会話することで、ご自分をアップデートされている秋川 リサさんは、十分にセンスのいいおばあちゃんだと思います。

私も、秋川 リサさんのように、素敵に歳を重ねていきたいものです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
 




 

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