オフコースと言っても、今の若い方は知らないですよね。
小田和正さんがいたグループです。
私が大学生の頃、二番目の妹が大ファンで、一度妹の代わりにチケットを買いに大阪まで行ったけれど(今のようにネットで買える時代ではなかった)、買いに来た人の列がトグロを巻いていて、諦めた思い出があります。
もちろん私もファンで、ピアノ譜を買って弾いていましたし、レコードも聴いていました。
オフコースのコンサートには行けなかったけど、一度、小田和正さんのコンサートに行った時、前列の座席に座ることができて、タオル(だったと思います)を投げてくれたのが、私の目の前に飛んで来て、取ろうとしたら、周囲の人が一斉に集まってきて、怖くて引いてしまい、取れなかった思い出もあります。
オフコースの鈴木康博さんが脱退して、その後オフコースは解散してしまったわけですが、その辺りの事情を調べてみました。
この記事を読んで分かること
鈴木康博さんの脱退理由
鈴木康博さんの現在
この記事を書いた人
5人の息子を育てながら、中学校の数学の教員を30年間続けました。
退職後、2023年3月に64歳で、ブログを始めようと思いたち、4月10日から公開し始めました。
学生時代は、ピアノ、バイオリン、お琴など音楽系の習い事をしていましたが、現在は、40代から始めた社交ダンス、退職してから始めたヨガなど、身体を動かすことにハマっています。夫と2人暮らし。
母と義母が健在で、時々介護のようなことをしています。
鈴木康博さんの脱退理由
脱退するまでのオフコースとはどんなバンドだったのか
オフコースは、1970年にシングル「群衆の中で」でデビューしました。
そして、デビュー10年目に「さよなら」が大ヒットしました。
その他にも、「愛を止めないで」」「言葉にできない」「Yes・No」など数々のヒット曲を生み出して、日本の代表的な人気バンドになりました。
オフコースは、1982年に開催されたコンサートツアー「over」にて、日本音楽史上初の日本武道館10daysを成功させた伝説のバンドです。
しかし、鈴木康博さんは、この公演を最後にオフコースを脱退しました。
そして、オフコースは、一時活動休止を経て、活動再開後も人気を維持していましたが、デビューから19年目の1989年に解散しました。
鈴木さんが脱退を決意した理由
鈴木康博さんがオフコースを脱退した理由と真相は、1989年にオフコースが解散したことを受けて発表された鈴木康博さんのエッセイ「時代を超えて、今」で語られています。
オフコースが、「さよなら」のヒットで一世を風靡した後、当時のレコード会社(東芝EMI)の意向で、小田和正さんをメインで売り出すことになりました。
鈴木康博さんは、そのようなグループの方向性に疑問を感じたそうです。
鈴木康博さんは、ビートルズやローリングストーンズのように、枠に囚われず様々なことに挑戦したいという気持ちで活動していました。
けれども、小田和正さんをメインで売り出すという方針で、枠にはめられたような気分になり、「オフコースといえば小田和正」というイメージ戦略に合わせるのが困難になった、と明かしています。
また、小田和正さんの楽曲以上に、万人受けする曲を作れないジレンマもあり、精神的にも大変な思いを抱えていたことから、「さよなら」のヒットで一世を風靡したのと時を同じくして「もう辞めたい」という気持ちを口にしていました。
その後、「オフコースに自分の居場所はない」「自分の音楽がやりたい」という思いが強くなり、1982年に脱退という結果になりました。
脱退理由として“方向性の違い”と一括りにされることも多いのですが、このような葛藤があったのです。
鈴木康博さんの現在
オフコースを脱退してからの気持ちの変化
鈴木康博さんは、現在も音楽活動を続けています。
鈴木康博さんは、オフコース脱退後、ソロになってからは、オフコース時代の楽曲を歌うことはありませんでした。
けれども、2004年にソロデビュー30周年を記念して、セルフカバーアルバム「FORWARD」をリリースしました。
その中で、オフコース時代の楽曲をカバーしました。
ひとつのきっかけは、年齢です。50歳を超えたころから、過去を振り返ろうという気持ちになりました
2001年にリリースしたアルバム「Reborn」の制作中に、オフコース時代の楽曲に挑戦したいという気持ちが芽生えました。
コンサートでオフコース時代の曲を演奏してみると、想像以上の大歓声と拍手喝采を浴びました。
ファンにとって、オフコースの曲がどれだけ大きな存在なのかを実感して、ファンのためにオフコースの楽曲を解禁することを選びました。
現在、鈴木康博さんは、
小田和正さんに対しての感情的なわだかまりはもうない
と語っています。
オフコースの曲を解禁したセルフカバーアルバムを制作する時にも、脱退の要因となった小田和正さんの曲である「さよなら」を
お客さんが喜んでくれるなら歌ったっていい
と言うほどになりました。
喜んでもらえるなら、なんでもやりますという気持ちになった。年相応の自然な変化だと思う
と語っています。
このように、時間の経過とともに、今ではわだかまりも消えているといいます。
最近の活動
2024年2月14日 東芝EMIからリリースした作品からの
SHM-CD2枚組ベスト盤「EMI イヤーズ」をリリース
ライブは、2024年4月13日(土)の熊本を皮切りに、全国各地で精力的に行われるようです。
詳しくは、鈴木康博さんのオフィシャルサイトを見てください。
◆鈴木康博 NEWS【2024/4/1更新】 ライブスケジュールを追加しました🌸 ▼「鈴木康博 LIVE 2024」 新規15公演決定♪ 水戸・新潟・福島・仙台・横須賀・豊橋・静岡・甲府・駒ヶ根・富山・長野・八戸・盛岡・旭川・札幌 メルマガ「YASS MAIL 404号」配信しました✉ #鈴木康博
— 鈴木康博 (@yass_suzuki) April 1, 2024
まとめ
鈴木康博さんの脱退理由は、「オフコースといえば小田和正」というイメージ戦略に合わせるのが困難になり、「オフコースに自分の居場所はない」「自分の音楽がやりたい」という思いが強くなったからということです。
そして、現在の鈴木康博さんは、ソロで音楽活動を精力的に行なっています。
小田和正さんに対しての感情的なわだかまりはなく、なんならちょっと一緒にやってみてもいいぐらいの気持ちになっているのではないかと思います。
これからのご活躍を期待しています。
できれば、ファンとしては、一夜限りとかでもいいので、オフコースの再結成を見たいものだと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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